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東京発のテレビ番組 [東京と京都]

 東京の中に京都はないが、京都の中に江戸はある。東映太秦撮影所。その歴史は1925年に始まるというから、大変なものだ。今ではテーマパークとして名高いが、JR嵯峨野線で西に向かうと、進行方向左側の車窓に撮影所の長い塀と、幾棟もの倉庫のような建物群が目に入り、無造作に置かれた古い大道具のようなものも見える。あの広い囲いの中には江戸の町が広がり、80年もの間、「べらんめぇ」「あたぼうでぇ」が飛び交っているかと思うと不思議だ。当然、エキストラも京都人が中心であろう。京都人が素性を髷の下に隠して、江戸っ子に成りすましているかと思うと、ちょっと笑える。
 太秦でなくても、京都で撮影される現代のドラマ、映画は多い。少し考えただけでも、船越サンとか、片平サンとか、橋爪サンとかが出演する場面が目に浮かぶ。だいたい、火曜何とか劇場とか木曜何とかドラマという2時間枠で、推理ドラマが中心である。実は、京都に住む者が見ると、他の地域の人にはちょっと味わえない楽しみがあるのだ。
 それは、これらのドラマに共通する3つの特徴だ。その1は、「事件は会議室で起きてるんじゃない。名所旧跡で起きてるんだ!」というものである。ホトケは嵐山の桂川か、鴨川のほとりで発見される。早速聞き込み開始だ。何故か、現場とは離れた錦市場や八坂神社、時には大原あたりまで足を伸ばす。犯人はついに追い詰められ、渡月橋を渡りながら、ぽつぽつと身の上を語り出す。「その時なんです。あの男が現れたのは。」ところが…、渡月橋を渡り終えると、そこは赤い鳥居が続く伏見稲荷の参道である。超人的な瞬間移動をしておきながら、何事もなかったように話し続けている。そして、哲学の道を歩いていたかと思ったら、次の瞬間には、清水寺。舞台から京都の夕暮れを見ながら、涙がすうっと…。さあ、お待ちかねのツッコミどころだ。2人でわざわざ拝観料払ったのかい?
 その2は、「伝統工芸士を疑え!」である。被害者やその家族は、決まって古き良き京都の生活を頑なに守って暮らしている人々である。今時の若い女性が着物で生活し、どっしりとした古い家屋に住み、庭に打ち水などしながら、ふと手を止めてため息をついたりなんかしている。父親は昔気質の職人だ。作務衣に手ぬぐい、一点を見つめて手仕事に打ち込み、娘の結婚に反対している。だが、彼は事件に結びつく鍵を握っているのだ。そして、それは一般人の知らない、専門的な知識の中にある。時には、凶器の刃物が、特殊な工芸でしか使われない専門用具だったとか、非常にわかりやすい展開になっている。まるで、京都には普通のスーツを着たサラリーマンやOLはいないみたいだ。
 その3は、「東京人、京都を征服す」というものだ。主人公のルポライターあるいは記者もしくは刑事は、必ず東京から赴任してきた人間である。しばしば、右腕となる人物や被害者も東京の人間。ドラマの中心になってストーリーを引っ張っていくのは全員標準語をしゃべる人間である。京都弁をしゃべるのは、目撃者か犯人側の人物。それも極端な京都弁、舞妓さんが話すような京都弁である。ただし、主人公の側近にも、やたらに京都の歴史や伝統に詳しい京都弁の女性がいる。山村サンや市田サンの役どころだ。この人物との何気ない会話の中で、「あっそうか!」と事件解決の糸口を見つける。
 これを東京を舞台にやったら面白いだろうな。ある朝、お台場の某テレビ局前で死体が発見される。犯人の遺留品は、雷おこしの包装紙。東京の警視庁を差し置いて、京都から江戸切子の取材に来ているフリーライターが捜査に乗り出す。聞き込み開始。汐留にいたかと思えば柴又で草だんごを食べている。次の場面では、六本木の大きなクモの下で、ついに容疑者の告白が始まる。「その時なんどす。あのお人が現れはったんは。」もちろん、犯人はべたべたの京都弁である。そして、東京タワーの展望室で東京の夕焼けを見ながら…。入場料払ろとんのかい!
 冗談はさておき、ドラマの背後に製作者サイドの思惑が見え隠れする。京都を舞台にすると視聴率が取れるのだろう。それは、東京(その他、京都以外の地域)の人の「京都」への憧れが背景にあり、京都の名所旧跡をチラチラ出すことが視聴者の期待でもあるのだろう。だから、あり得ない瞬間移動は、「お約束」なのかもしれない。また、もっと素直に考えて、京都へ撮影に来たスタッフが京都の美しい景色に出会い、純粋にこれを撮りたいと思うのかもしれない。京都まで来て、わざわざ貨物倉庫や怪しい地下街やビルの谷間を撮ることもない(もっとも、京都にはあまりそういうところはないが)。
 だが、京都に住む者としては、もっと真の京都を見てほしいと思う。寺社と先斗町と高級料亭と伝統工芸だけが京都ではない。誰もが舞妓さんのような京言葉を使うわけではない。京都の、おそらく大部分には普通の家庭があり、普通のビジネスがあり、活気ある商店街があり、コンビニがあり、若者が得体の知れない言語で話し、老人が「近頃の若い者は…」と嘆く日常に満ち溢れている。そういう現代の一地方都市としての京都を、東京の視点からどう見えるのかを描いてほしい。無理に、極端な京都弁を使わせる必要はない。不自然に標準語に訳すこともない。京都出身の俳優さん、女優さんを起用して、生の京都を紹介してほしい。ドラマに限ったことではなく、旅番組でもバラエティーでも。
 前にこんな番組があった。タレント3人が路線バスを乗り継いで旅をする人気シリーズだ。京都駅からバスに乗った3人は、南へ向かった。市バスの京阪中書島行きで、その路線は我が家の前も通っているので、食い入るように見ていた。バスの中で、タレントの1人が地図を見ていたが、「中書島なんて載ってないじゃん。何だ、この地図!」彼が見ていたのは、京都市街の観光マップ。普通、その類の地図は京都駅周辺以北しか載っていないので、当たり前である。そして、中書島に降り立って、「何だ、ここ。何にもないじゃん。普通喫茶店とか、駅前だったらあるだろが。」非常に腹が立った。ちなみに、中書島駅は、確かに小さな駅だが、特急も停車する駅ではある。バス停は駅の南側にあって、前がすぐ府立公園と宇治川の土手になっている。駅の表玄関は北側で、花街の面影を残す商店街に面している。彼らは、次に着いた楠葉駅(大阪府枚方市)でも、ぶつぶつ言っていた。「こんなの、ヒラカタなんて読めないじゃん、マイカタじゃないの!」旅行者の素直な気持ちを伝えるのは、時には必要だが、せめて編集段階で地元へのフォローをしてほしい。テロップなりナレーションなり…。これは、先に書いた、生の京都を見てほしいという気持ちに通ずる。さもなくば、東京だけで放映してもらいたい。
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 さて、話は変わるが、関西に住んで気づいたことの1つに、関西ローカルの番組が多いということがある。朝や昼のワイドショー、深夜のバラエティーは大阪発信のものが多い。初めはローカル色豊かだなと思ったが、考えてみると、自分に身近な地域を中心に放送してくれた方が、自分の生活に役立つことが多い。それに比べ、東京発の番組はどうだろう。「全国ネット」を標榜しながら、出演者にその意識が感じられないことがある。特に天気の話題。それは、冒頭とエンディングに目に付く。冒頭、「雨が上がってさわやかな朝になりましたね。」エンディングに数秒あるときに一言、「今日は傘をお忘れなく!」また、「春満喫!日帰り温泉の旅」などといった番組でも、関東一円が対象で、日帰りできるのは東京周辺の人だけというものがある。年末年始やお盆の時期のニュースでは、首都圏の渋滞情報ばかり延々と見せられることもある。
 いろいろな事情があるのだろう。特に、カネとヒトの制約が大きいだろう。しかし、これは関西に限らず、東京以外の全国の人が見ていることをわずかでも意識して、責任ある放送をしていただきたいものだと思う。
 なお、関西発の全国放送番組に、よみうりテレビの「ミヤネ屋」がある。平日の午後、毎日生放送されているニュース・情報番組である。関西で見ていると、身近な話題が多く面白いが、果たして東京で見ている人が、あるいは北海道、あるいは鹿児島で見ている人が、どのように感じているのだろうかと気になっている。

京都・観光文化検定試験改訂版



京都・観光文化時代map



京都検定問題と解説(第4回)



京都検定問題と解説(第5回)



京都検定問題と解説2級・3級(第1回)



京都検定問題と解説(第3回)



京都検定問題と解説 1級・2級・3級全255問(第2回)



中村武生の京都検定日めくりドリル500問



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京都人の、京都人による、京都人のための [京都の街角]

 大阪の書店へ行って、ふと気がついた。「大阪コーナー」がない!
 京都市内の書店には、必ずといってよいほど「京都コーナー」がある。地図や観光ガイドブックだけでなく、京都の歴史や文化を紹介するもの、京都にゆかりのある人物の伝記、京都在住の作家の小説、京都出身タレントのエッセイや写真集、京野菜のレシピ、京ことばの辞典、等々。特に近年は、京都検定の影響もあるのか、『京都人だけが知っている』『京都人だけが食べている』『京都人だけの散歩道』『京都人も知らない意外な話』『京都人が書いた京都の本』『誰も知らなかった京都聖地案内』『京都人がひそかに愛する 京の路地・小路、かくれ店』……挙げたらきりがないほど、重箱の隅をつつくような小ネタ本が続々出版されている。まるでもう、これらの内容を知らなかったら、京都人として認めないと言わんばかりに感じる。
 はじめ、観光客向けなのかと思ったが、およそ観光とは縁のなさそうな商店街の個人商店にも「京都コーナー」があったりする。一時のキャンペーンではなさそうだ。まあ、コーナーを作らざるを得ないほど、この類の本の種類が多いということなのだろう。大型店舗となると、京都コーナーの中でもさらに細分化されていて、歴史、寺社、美術、文学、産業などに仕分けされている。
 それにしても、これほどまでの出版物は誰をターゲットにしたものだろう。買う人あってこその出版のはずである。その内容からして、観光客目当てではないだろう。
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 京都検定で思い出したが、前にある人がこんなことを言っていた。「京都検定なんて、京都に生まれて育った者なら、小学生でも満点取れるわ。あれをわざわざ受ける奴は、自分で田舎者をひけらかすようなもんや。」この人のように、京都検定は京都人には簡単だ、と思っている人は多いのではないだろうか。実際のところはどうなのだろう。
 京都検定、正確には京都観光・文化検定は、年1回行われている。1級から3級まであり、合わせて8,000人前後が受検している。2007年度(第4回)の内訳を見ると、驚くことに受検者の50%を京都府民が占めている(かくいう僕も第4回を受検したので、昨日今日京都に住んだ新参者も含まれてはいるのだが)。ちなみに京都以外では、大阪府が12%、東京都が7%、以下、滋賀県、兵庫県と続く。では、合格率はどれくらいかというと、3級が38.8%、2級が25.0%、1級はわずか8.1%である。仮に合格者の全員が京都府民であったとしても、多くの京都人が不合格になったと思われる(厳密には、3級と2級は同時受検できるから、2級不合格・3級合格ということもある)。
 次に、小学生でも受かるか。残念ながら、10代の受験者は非常に少なく、したがって合格者もわずかである。3級受検者は20代が一番多いが、2級・1級となると50代・60代が中心になっている。実際、問題を見てみよう。第4回3級の第1問である。
 「平安京は『四神相応之地』といわれる。北に位置するのはどれか。
  (ア)玄武  (イ)朱雀   (ウ)青竜   (エ)白虎」
 正解は(ア)。これは、小学生には難しいだろう。第一、京都に生まれ育ったならわかる問題とは言いがたい。京都検定の問題は、実はかなり深い知識を要求しているのである。
 もしかしたら、高校生・大学生が京都検定を受けたら、東京の学生よりも京都の学生の方が成績が低いのではないかとさえ思える。というのは、東京の学生は修学旅行などで京都へ来ている。清水寺、金閣(寺)、銀閣(寺)、平等院くらいは訪れたことだろう。しかし、京都の人は案外、金閣・銀閣を知らない。金閣の近所に住んでいることを自慢しながら、金閣に行ったことがないと言う人がいる。だって、あんなもんは昭和の建物やし、国宝でも何でもないからだそうである。まあ、それだけ知っているだけマシか。何やら複雑な思惑が見え隠れする。
 そういえば、京都検定対策のワークブックの1つに、こんな問題があった。
 「『京の春は牛の尿(いばり)の尽きざる程に、長くかつ静かである』と書いた文豪は誰か。」答えは夏目漱石。漱石は『虞美人草』の中で、確かにそう書いている。しかし、よりによってなぜ、この部分を引用して問題に取り上げたのかに疑問を感じる。というのも、漱石は決して京都を悪く書いていないのである。長くなるが、『虞美人草』から少し紹介すると、
 「古い京をいやが上に寂びよと降る糠雨が、赤い腹を空に見せて衝(つ)いと行く乙鳥(つばくら)の脊に応える程繁くなったとき、下京も上京もしめやかに濡れて、三十六峯の翠(みど)りの底に、音は友禅の紅を溶いて、菜の花に注ぐ流のみである。」
 実に美しいではないか。牛の尿の下りでも、実は直前まで、このような情緒的な俳文で語られている。比叡山に向かう主人公2人が通りがかりの大原女に道を尋ねるシーンだ。その大原女が牛を連れている。牛の尿は、牛を出した縁で俳諧的なユーモアを交えつつ、また八瀬あたりの牧歌的風情を表現したものだろう。だが、漱石は江戸っ子だ。東京の人間だ。憶測だが、ここを引用した筆者は、東京の人間は京都の良さがわからぬ、してやったり、と思ったのではないか。
 『京都人だけが知っている』というような本が売れるのは、『自分の説明書』や、ちょっと前の『中央線な人』などとは少し違うような気がする。生粋の京都生まれ京都育ちが、こっそり盗み読みして、知っていることを確認してほくそ笑んだり、知らないことを恥じたりしている姿が眼に浮かぶ。そして明日には、東京人をつかまえて、「そんなことも知らんのか、常識やんか」と、やっていそうである。
 京都人の方々、気を悪くしたらごめんなさい。僕自身も、これらの本に「おっ、知ってる知ってる」「へえ~、そうなんだ」と喜んだり驚いたりしている1人である。

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京都検定問題と解説(第4回)



京都検定問題と解説(第5回)



京都検定問題と解説2級・3級(第1回)



京都検定問題と解説(第3回)



京都検定問題と解説 1級・2級・3級全255問(第2回)



中村武生の京都検定日めくりドリル500問



カラス、まるまると太る [京の交通事情]

 学生時代、「烏丸」を「とりまる」と読んだ友人がいた。烏(からす)と鳥(とり)という字は確かに似ている。「鳥」は象形文字で、真ん中の横棒は鳥の目を表している。一説には、カラスは真っ黒でどこが目玉だか見分けがつかないので、目を書かなかったのが「烏」という字の始まりであるという。それはさておき、京都駅の正面玄関を烏丸口といい、そこからまっすぐ北進する大通りが烏丸通である。この「烏丸(からすま)」とは、変な名前だ。第一、「からすまる」ではなくて「からすま」という読みは、ちょっとした難読地名といっても良いだろう。京都の通りの名や町の名には、こういう難解なものが少なくないので、時折困ることがある。
 笑い話だが、「烏丸丸太町(からすままるたまち)」を「からすまるまるふとるまち」と読んだ人があるそうな。都会のゴミグルメでメタボになったカラスを連想して、思わず噴き出した。烏丸丸太町とは、南北に走る烏丸通と東西に走る丸太町通の交差点のことで、京都御苑の南西角にあたる。市営地下鉄烏丸線の丸太町駅があるところである。
 ついでに笑い話をもうひとつ。ある観光客が南禅寺近くで、哲学の道へはどう行ったらよいかと尋ねた。「このまままっすぐ上がらはったら…」その観光客は坂を上って山へ…。「上がる」「下がる」は住所に書かれるだけでなく、割と普通に話されている。京都の人は、それが「北上する」「南下する」の意味であることすら意識せずに使っている感がある。そして、条坊制の名残をとどめる鴨川以西に限らず、東山や伏見でも、この言い方が使われているようだ。方位磁針がなくとも、周囲の山や流れる川を見れば、方位はわかってしまう。それほど、京都の街は狭い。また、北へ行くほど僅かずつ標高が高くなることも事実である。
京都鉄道路線図.jpg
 先の烏丸丸太町だが、これは町名ではない。烏丸丸太町交差点の周りの町名は、春日町、光リ堂町、大倉町などである。例えば、交差点南側の大倉町の住所は、京都市中京区烏丸通丸太町下ル大倉町となる。この言い方には、場所の特定と行き方の説明が混在している。つまり、京都市中京区大倉町が場所の名前(地名)だが、その間に挟まっている「烏丸通丸太町下ル」は「烏丸通と丸太町通の交差点から南へ行きなさい」という意味だ。これは、京都市内の通りの名前と位置関係が頭に入っていれば、実に解りやすい。北緯何度、東経何度と言われているようなもので、その場所がピンとくる。だが、その知識がないと厄介だ。だから、「姉三六角蛸錦…」といった暗唱用ともとれる通りの名を織り込んだ歌ができたのかもしれない。逆に、京都では町名を言ってもまず通じない。例えば東京駅でタクシーを拾って、「有楽町」と言えば、すぐに行ってくれるだろう。しかし、京都駅でタクシーに乗って「真町」と言ったって、わからないのではないかと思う。真町は、京都高島屋のある町名、京都で一番の繁華街、四条河原町付近である。
 30年近く前のことになるが、友人と京都を旅行したことがあった。金閣寺から、当時まだできたばかりの地下鉄北大路駅までバスに乗った。乗り込んだバスが循環系統だったので行き先を確かめるため、友人は走っている車中で運転手にこう訊いた。「このバスは、北大路に停まりますか?」運転手、むっとした顔で「今、北大路ですわ。こんなとこでは停まれまへん。」僕たちはまさに、金閣寺付近から北大路通を東に進んでいるのであった。
 さて、この通りの名前による土地の表し方であるが、電車の駅名にも応用されている。これがまた、外来の者にとっては厄介である。市内中心部を走るおもな鉄道には、南北に京阪線と地下鉄烏丸線、東西に地下鉄東西線と阪急京都線がある。例えば、烏丸通の下を走る地下鉄烏丸線で見ると、京都駅以北の駅名は、五条、四条、烏丸御池(からすまおいけ)、丸太町、…と続く。この路線と阪急京都線が交わっている。地下鉄四条駅と同じ位置にあるのが、阪急線の烏丸駅。両者は同じ駅であるにもかかわらず駅名が違うのだ。烏丸通の下を走る地下鉄は、四条烏丸の交差点に「四条駅」と名づけ、四条通の下を走る阪急線は同じ交差点に「烏丸駅」と名づけて、双方譲らない結果が、そうなっているのである。これは、観光客などにとって、誠に紛らわしい。同じ地下鉄どうしなら、烏丸線と東西線の交点を「烏丸御池駅」として互いに譲歩しているというのに。
 鴨川縁を南北に走る京阪電鉄は、2008年10月に京都市内の3駅の駅名を同時改称した。具体的には、丸太町→神宮丸太町、四条→祇園四条、五条→清水五条である。それまでは、地下鉄烏丸線と同一の駅名が3つ存在していたのである。神宮丸太町と地下鉄丸太町、祇園四条と地下鉄四条、清水五条と五条は、それぞれかなり離れている。乗り換えなど不可能だ。東京で都営地下鉄大江戸線が開通したときに、大江戸線蔵前駅と既存の浅草線蔵前駅が離れていて、乗り換えに路上を歩かなければならないということで問題になった。京都の6駅は、それどころの隔たりではなかったのだ。それが、市営地下鉄が開業したのが1981年だから、27年間並立していたことになる。今回の駅名変更は、先に駅を設置していた京阪の方が身を引く形になった。
 それでもまだ、「丸太町」が町名ではなくて通りの名前だという意識がないと、神宮丸太町と丸太町は近所だというイメージを持たれてしまうのではないかと心配している。同じようなことは、JR京都線の西大路駅と地下鉄東西線の西大路御池駅などにも言えると思う。ちなみに、京阪線の祇園四条駅は四条大橋の東詰め、阪急線の河原町駅は四条大橋の西詰めに当たる位置である。両駅は大橋を渡るだけで乗り換えができるのだ。これなども、観光客などにはわかりにくいかもしれない。

東京の人は…(後編) [東京と京都]

 前編を書いてから、かなり長い時がたってしまった。もう京都へ転居して4年目に突入している。その間にいろいろとシガラミも発生して、京都を客観視する能力も多少失われたかもしれない。しかし、まだまだフシギノクニ・キョートには関心が尽きない。
 さて前回、京都の人の東京に対する偏見と憧憬について書いた。たまに東京へ行くと自慢げに吹聴するくらいだから、京都の人の皆が皆、度々東京へ行っているわけではないはずだ。その情報源は、おそらく大半がテレビ。これについては、別に書きたいと思う。そのほか、京都人が主として接する「東京の人」の大部分が観光客ではないだろうか。今、「東京の人」とカッコをつけたのは、関西弁以外の言葉を話す人たちが皆、東京の人間と捕らえられている感じがあるからだ。東京でも埼玉でも千葉でも、あるいは北海道でも九州でも、その他日本のどの県であれ、非関西弁圏のイントネーションはちらっと聞いただけでは同じように聞こえる。
 年間で京都を訪れる観光客数は実に5,000万人、日本人口の半数に近い。不況の煽りもあるのか、ここ5年間は鰻登りである。その中でも観光客の最も多い時期が紅葉シーズンの11月といわれているが、実感としては、一年を通して観光客だらけという印象だ。修学旅行も相変わらず多い。首都圏の私立校などは、海外や北海道、広島、長崎なども多いと耳にしていたので、京都・奈良は減ってきているのかと思っていた。ところが調べてみると、京都への修学旅行生数はここ10年ほどは変化がなく、毎年100万人を超えているのである。ちなみに僕は東京で学校を出たが、中学・高校とも修学旅行は京都・奈良であった。京都には修学旅行生を収容できる大型ホテルが多く、専用の施設すらある。また、修学旅行生の扱いにも慣れており、エコノミーでもある……といったところが、人気が衰えない要因だろう。
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 だが、修学旅行のスタイルは、昔と随分変わってきたように思う。昔は、観光バスに乗って団体行動。ガイドさんの旗に従ってぞろそろ歩き、ふざけあったりすると引率の先生に小突かれたりしたものだ。ところが近頃は、このぞろぞろ集団をついぞ見かけなくなった。代わりに目にするのは、生徒たちのグループ行動である。このグループ行動の修学旅行生の振る舞いには目に余るものがある。路上ではしゃぐ、走り回るは序の口で、駅の床に座り込む、レストランで騒ぐなどは、少々腹が立つ。引率の先生の姿は、ほとんど見た事がない。
 グループ行動の趣旨は、おそらく自主性の尊重や生徒の希望重視、また引率者の節減や観光施設・観光バスを団体で予約する必要がないなどの利点もあるだろう。だが、自主と自由は違うと思うし、自由と自分勝手も違う。常識的なルールやマナーをほとんど教わっていない子供たちを、いきなり社会に放り込んだところで、自主性や社会性が養われるとは到底思えないのである。いつか喫茶店で暇をつぶしている引率教員と思しき人を見た事があるが、事情はさておき子供たちの実態に目を向けてほしいと思う。なお、修学旅行生のすべてが、お行儀が悪いと言っているわけではないので、断っておく。
 実は、お行儀が悪いのは修学旅行生に限ったことではない。大人の観光客の中にも、マナーをわきまえない輩は少ないとは言えない。特にGWや夏休みは甚だしい。車中でストロボを焚く、通勤時間帯に飲食・飲酒をしている、混雑している車中で座席を占領していたり大荷物をドアの前に置いて動かさないなどである。また、地元の人は観光客に奉仕すると思い込んでいるきらいがある。というのも、遠慮もなしにシャッターを押させるし、道を尋ねるときにはしばしばタメグチだ。……しつこいようだが、京都へ来る観光客の全員がこうであると言っているのではない、念のため。
 いささか脱線が過ぎた。話を戻すと、こういった観光客の行状が京都人の「東京の人」に対する印象を悪くしているのではないかと思えるのである。かつて東京から京都へ観光に来ていた自分自身も含めて、反省せねばならないだろう。「旅の恥は掻き捨て」とは言うが、迷惑行為は恥では済まされない。旅先での行儀の悪さは、故郷に泥を塗るということを心に留めて、旅に出たいものだ。

東京の人は…(前編) [東京と京都]

 京都へ引っ越して、まだ日が浅い頃、人の口に出る「東京」という言葉がやけに耳についた。京都の人が東京と言うとき、「とーきょお」という風に最後の「お」を強く発音する。他の地域では聞かない独特のイントネーションもさることながら、「東京は」「東京の人は」に続く言葉はしばしば悪意がこもっているように思えた。普段の何気ない会話の中で、突如、「東京の人は、すぐに信号無視する」「東京の人は、道に平気でゴミを捨てる」「東京の人は、エスカレーターで片側に寄らない」などの言葉が出てくる。
 あるとき、会議の席で「そういう風に標準語で言われるとむかつくんだよね」と言われたことがある。また、東京へ行ってきた人が「東京の道は夜になると暗くて、車で走りにくい」と言っていた。京都の人は、どうも東京に対して、いわれのない悪意を持ってるようだと感じていた。
 だが、その一方で、東京に対する憧れもあるようなのである。変に意識しているという印象である。ゴールデンウィークや盆休みに旅行に出掛けたときなど、普段は何も言わない人でも、東京に行った場合に限って別格のように「東京へ行ってきました」と報告する。周囲の京都人は「いいですねぇ」と返す。当人は「なぁに、大したことじゃないですよ」とうそぶく。そのうち、「東京のどこへ行ったんですか」なんて訊くと、「池袋で友人の結婚式がありまして…」と言う。すると誰かが「ああ、ブクロね。あの辺も随分きれいになりましたね」なんて言っている。別の誰かが「東京駅から山手線やったっけ?」と訊けば、他の誰かが「地下鉄が早いんやないの?」「丸ノ内線やろ?」……要するに、東京のことをどれだけ知っているかという自慢合戦が始まるのである。僕は馬鹿馬鹿しくて、そういう話には加わらない。先日、東京のある出版社の営業が名刺を置いていった。そこに書かれていた飯田橋という住所を見て、誰かが「これ、イイダバシと読むんやで」と言えば、「本社が飯田橋なら大手やないやろ。あの辺は中小企業がごちゃごちゃしてる。出版社なら水道橋やないとあかんわ」なんて言っている。
 東京の人に言わせれば、京都は一地方都市に過ぎないだろう。しかし、京都の人は東京を同等もしくはそれ以下と見なしているフシがある。そしてしばしば次のような言葉を口にする。「京都には2000年の歴史があるが、東京はせいぜい100年そこそこだ。」それは、しかし、皇居が置かれていたというだけで、文化の中心は江戸後期には関東へ移行していたとも言えるし、人間が住んでいたということであれば、東京にも旧石器時代からの人類の営みはあるのだ……などと反論してみる気も起こらない。僕には、どちらが上だと決めるつもりはない。東京にいたころ、どこであれ他の特定の土地について皆がこぞって非難を浴びせるようなことは、聞いたことがなかったので驚いていたのである。
 だが、今は少しわかる。昔から言われていることだが、京都人の心底には中華思想が根強くあるようだ。2000年も日本の首都であり続けたわけだから、血と肉に浸み付いていても不思議はない。それに加えて、ここ50年くらいの間に、全国で地方都市が次々に誕生し、京都と同規模の都会が増えた。その間に京都では観光都市としての側面もあって伝統や文化遺産の保護が重視され、近代的発展が抑制されてきたとも考えられる。景観維持のため、現代的なデザインの高層建築が禁止されたのも、その一例である。かつて京都タワーが建設されたときも、近年では京都駅ビルの建築でも、大きな反対意見があった。そして、反対者の多くが外部の人、京都を観光で訪れる人たちだったのである。

 明治維新の後、東京遷都が決まると京都の人たちは混乱し、暗いムードに包まれたそうである。当時の民衆にとって、天皇は現代より大きな存在であったに違いない。京都の街に活気を取り戻すためにつくられたのが京極の商店街だったと聞いている。もしも遷都がなければ、京都が今の東京のように発展していたかもしれないと思うと、京都人の東京に対する憧れも僻みもともに理解できるように思われる。


京都と東京、重ねてみれば… [東京と京都]

 京都市には、上京・中京・下京・左京・右京・東山・西京・南・北(ここまでは上中下/左右/東西南北が付く)・山科・伏見の11区がある。僕は伏見区の自宅から、市内中心部の職場まで通勤している。伏見区は京都市最南部にあって、南では宇治市・八幡市・久御山町に、西は向日市・長岡京市・大山崎町に接する。鉄道でいえば、京都駅からJR奈良線で2駅目の稲荷駅から4駅目の桃山駅まで、近鉄線では4駅目の竹田駅から8駅目の向島(むかいじま)駅まで、また京阪線では三条駅から6駅目の伏見稲荷駅から13駅目の淀駅までが伏見区内の駅となっている。これらの鉄道沿線であれば、京都市内中心部まで30分前後で通学できる地域である。僕は、京都での通勤先が決まってから住居を定めたのだが、通勤時間30分というのは遠くもなく、近すぎもせず、理想的だと思っていたのだった。何しろ、東京では多摩地区から都心まで1時間以上かけて通勤していたのだから。
 ところが、伏見区から通っているというと、随分遠くから来ていると感じる人が多いようなのだ。「毎日大変でしょう。」などと言われる。僕の勤務先はそこそこの規模の事業所であって、中には市外からの通勤者もいる。しかし、職場まで原付や自転車、徒歩で通勤している人は意外に多い。その人たちと話していると、いろいろな場面で距離感覚の違いを感じることがある。
 実際には、京都と東京はどれくらい面積が違うのだろうか。下の図は、京都市の地図に東京のJR路線図を重ねたものである(ゼンリンのデジタル全国地図より作成)。こうしてみると、京都市の中心部は山手線内にすっぽり収まってしまう。ちなみに京都市の面積は約828平方キロメートルで、東京23区の面積(約617平方キロメートル)より広いのだが、北部や西部の山間の地域も含まれているので、盆地内の平坦部はもっと狭い。

 さて、同じ京都市内の伏見区が遠いのだから、大阪などはなおさらである。東京から見れば、大阪も京都も同じように感じるだろう。JRの新快速で京都-大阪間は25分である。東京-横浜間が東海道本線の普通列車で25分位だから、京都と大阪の関係は、横浜と東京の関係に比べられると思う。
 僕の感覚では、横浜と東京はごく近いイメージである。通勤や通学も相互に行われているし、ちょっとした買い物で横浜の人が東京へ行ったり、その逆もあったりする。
 僕の住む伏見から大阪へ行くには、京阪線の特急を利用して40分位である。大阪には大きな書店やCDショップがあるし、好きな美術館もある。休日に何か刺激を求めて出掛けることが多い。ところが周囲の京都人は、あまり大阪へは行かないようだ。行っても数年に一度とか…。自分と趣味が違うからなのかもしれないが、「必要がない。」と言う。
 たとえば、こんな会話をした。
「心斎橋の東急ハンズへ行ってきました。」
「別に大阪まで行かんでも、ロフトでええやんか。」
 河原町にロフトはある。しかし、ハンズとロフトは違うのだ(…といっても行ったことがない人には通じないのだが)。確かに近頃はわざわざ店舗に出向かなくても、何でもネットで買えるとはいえ、やはり大きな店で手にとって見たいと思う時もあるのだが…。関東平野がどこからでも富士山が見えるだだっ広い土地であるのと、京都が山に囲まれた閉鎖的な土地であることとの違いも関係あるのかもしれない。
 近年、マスメディアやインターネットの普及によって遠くの情報が容易に得られるようになった。人は、今より以上の便利さや豊かさを求めて遠くまで出掛ける。あるいは経済性や快適さを望んで郊外に居住する。交通機関の発達によって移動しやすくなってきた。東京には、徒歩5分圏内に地下鉄の駅が3つも4つもあるという場所も複数ある。ふた昔前なら新幹線通勤は珍しかったが、現代では中学生や高校生が新幹線で通学するという話すら耳にする。振り返ってみると、東京の人間の方が感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。自分の身辺にあるものだけで満足して暮らしていた昔からすると、身近にないものを求めて遠くまで足を運ぶことが当たり前となった現代は、その分エネルギーが要る。製品も多く生産される。売れ残ればゴミが出る。こう考えると、狭い社会の中で無欲に暮らしている方が地球に優しいのではないかと思う。京都には、そのような気風が少しは残っているのかもしれない。


「京都って、いいですねぇ…」 [東京と京都]

 先月、東京へ行ってきた。宿泊したところは、水月ホテル鴎外荘。上野・池之端にあって、敷地内に森鴎外が『舞姫』を執筆した住居が保存されている、閑静な宿だった。東京にこのようなホテルがあるとは、今まで知らなかった。考えてみれば、自分が住んでいる土地のホテルなど調べる機会はそうそうない。土地のことは土地の者に訊けというが、長年住み続けていると、無意識に行動範囲が限定されて、どこでも知っているようなつもりでも案外未知の場所があるのかもしれない。
 東京では旧知の友人知人に会うことと、レオナルドの受胎告知を観ることが主な目的だったが、話題の東京ミッドタウンへも行ってみた。ここ数年の東京の再開発は、すさまじい速さだ。汐留シオサイト(2002)、丸ビル(2002)、六本木ヒルズ(2003)、表参道ヒルズ(2006)、そして2007年3月にオープンした東京ミッドタウン。オリンピック招致が決定すれば、ますます建設ラッシュが続くだろう。しばらく東京を離れた間に、東京は見知らぬ街になりつつある。ちょっと寂しい。
 僕の周囲の京都人の中に、今年のゴールデンウィークを利用して東京へ遊びに行った人が幾人かいた。どこへ立ち寄ったのか訊いてみると、若い人はディズニーリゾート(厳密には東京都ではないのだが…)、お台場、年配者は浅草、上野。また、今の旬としては東京タワーや秋葉原。同じ場所を何度も訪れている人も少なくない。だが自分が東京に住んでいたとき、ディズニーリゾートは例外として、お台場や浅草はそうそう頻繁に出かける場所ではなかった。東京には、まだまだいいところがある。前にあげた再開発地区もそうだし、浜離宮・清澄庭園・小石川後楽園などの名園もある。都電に乗ってとげぬき地蔵にも行ってほしい。
 今回、東京で会ってきた人の一人に、「今は京都にお住まいなんですねぇ。いいですねぇ…」と、語尾を心もち強調して目を細めて言われた。最近の年賀状などにも、この「いいですねぇ」が散見され、何がいいのだろうと思っている。それはまあ、東京よりは人口も少なく閑静で、空気も多少きれいだろう。しかし、南の島でのんびりリゾート暮らしをしているのとは訳が違うのだ。東京の人には、京都に対して特殊な憧れがあるように思う。
 東京にいた頃、周囲で京都へ行ってきた人にどこを訪れたか訊いてみると、金閣寺(正式には鹿苑寺)、清水寺、大原、嵯峨野…。そして旅館の浴衣に下駄で花見小路あたりを散策して、お土産は八ツ橋。「いいですねぇ」という言葉の下には、そういう旅の情緒がひっくるめて潜んでいるのだろう。高瀬川畔の町家で、いずこからかコロリンと聞こえてくる琴の音でも聞きながら、明治時代さながらの暮らしをしているようなイメージがあるのだろうか。もっとも、「いいですねぇ」と言われて悪い気はしないが。
 それで思い出したが、かつて千葉県北部に住んでいた頃、旅先で「千葉から来ました。」と言うと、しばしば「暖かいでしょう」という挨拶が返ってきた。北陸地方で、「雪は初めてですか?」と真顔で訊かれたこともある。南房総は確かに暖かいが、雪が降らぬということはないし、僕が住んでいた北部では都内より雪深いこともあった。土地のイメージというものは、どこにでもあるのかもしれない。
 さて、金閣寺や清水寺など、中学生の修学旅行でも大概行っているのに、大人になってからもやっぱり行く。鹿苑寺金閣は、三島由紀夫や水上勉の小説で有名な1950年の放火事件で消失し、現在の建物は1955年に再建されたものである。消失以前は国宝に指定されていたけれど、現在のものは国宝ではない。僕が初めて訪れた1977年頃は、金箔が剥がれかけて黒ずんでいた。その後、1986年に行われた昭和大修理で現在のような姿になった。だから、建物は築50年ほど、外装は20年ほどということになる。ただし、金閣を含む庭園は特別名勝の指定を受けている。また、近年世界遺産にも指定された。

 古いものはすべて良し、新しいものは無価値だという気はない。しかし、金閣寺のイメージをもって京都の印象としてもらうには、やや抵抗がある。金閣は創建当時の姿を復元したものである。足利義満の富と繁栄の象徴として、歴史的に観る価値はあると思うが、現代人の生活の中に生きているとは思えない。悪く言えば、観光都市京都が人集めのために掲げている大看板という感じがする。もし、京都の寺々が軒並み、往時の姿に復したらどうなるだろう。朱の堂塔の中に金ピカの仏像や極彩色の神像が立ち並び、およそ古都の雰囲気が消滅することは間違いない。
 僕の周囲の京都人の中には、金閣寺に行ったことがないという人も少なくない。観光客の行くところには行かないというような、食わず嫌いも多少あるだろう。「観光客の歩く道と地元民が通るところは違う」というのは確かに感じる。それこそが、外部の人がもっている京都のイメージと実際の生活感とのギャップにつながっているのではなかろうか。代表的な観光スポットも一度は訪ねてほしい。しかし、そこが本当にお気に入りの場所というのでなければ、次は未見の場所に足を運んで新しい発見をしてほしいと思うのである。


《口上》 とざいとぉ~ざぁ~い [プロローグ]

 「電車は、あなたの部屋ではありません」というCMがある。陸蒸気の頃には、下駄を脱いで乗車した人もいたというが、これは現代の電車内での迷惑行為を戒める公共広告機構のマナーCM(関西版)である。2席分を占領している、耳から音漏れがする、ケータイが鳴る、…。電車内での非常識な振る舞いは今に始まったことではないが、どんどんエスカレートしてきた。昔はそうではなかった。電車に乗って出かけるときには「よそ行き」を着て、子供ながらに紳士淑女たるを躾けられた。だいいち、子供は座席に座ってはならなかった。近頃の若者は、子供以上にタチが悪い…。
 だが、よく見ると、どうやら若者だけではないのだ。大きな荷物を横に置いて座っているオバチャンがいる。声をかけても通路を譲らないオッサンがいる。また、声もかけずにゴリ押しするオヤジがいる。もちろん、老人にさっと席を立つ善良な青年も少なくないのだが、世の中、ワガママやヒトリヨガリが横行するようになってきたのだ。
 「個性の時代」といわれて久しい。万人が中流意識を持ち、逸脱を嫌い、できる限り「普通」であろうとした世の中から、いかに他人と違うかを競う風潮に変わってきた。個性的な人が注目を浴び、誰もがオリジナルであることを求める。かつては「普通でない人」がプロであったが、今はファッションでも芸能でも、玄人と素人の境界が曖昧だ。少子化で1人ひとりの子供が大事にされたことも背景にはあるだろう。近年の教育改革を見ても、個性尊重が明確に打ち出されてきている。
 インターネットの目覚しい普及も、個性尊重の隆盛と無縁ではないだろう。だが、個性の尊重は、時として「公」と「私」を混同させる。公共交通機関と自室を一緒くたにする。
 そして、ブログである。ブログは元来、個人的なメモ、覚書、あるいは日記の類である。日記など「私」のカタマリだ。自分や、近縁の者だけに通ずるもの、まさにワタクシゴトである。そんな超私的なものを公開する意味はあるのか。公共の電波を私物化するタレントではないが、公私混同もいいところだ。その上、インターネット上では誰もが匿名なのである。誤った情報を流しても、責任を免れる。悪の温床になり得る。…だから、僕は今まで、ブログを嫌っていたのだった。
 ところが、とうとうブログを始めることになった。これだけ述べ立てた以上、理由を正当化せねばなるまい。だが、残念ながら、すべてワタクシゴトの域を出ない。
 その1は、今でなければ書けないことがあること。僕は、幼児期を京都で過ごし、少・青年期を東京を拠点として暮らした。そして再び京都に戻って、今年3度目の春を迎えた。京都はよく知った土地だと思っていたのだが、いざ住んでみると、様々な違和感が出てきた。3年目の今では、和睦を結んだ違和感もあるし、まだ容認しがたいものもある。逆に、東京に対する違和も多少感じている。そういった感想を、できる限り私的にならずに記録しておきたいと思うのである。
 その2は、禁断症状である。東京では、長年、文章を書いて活字にする仕事をしていた。京都へ来て、書くことが殆どなくなり、喋ることが多くなった。言わんとすることを口頭で表現することの難しさに、日々手を焼いている。そして、時々ふと文章を書きたくなるのだ。それに、文章を書かなくなったら記憶力が低下したように思える。年齢のせいもあるだろうが、まだ決して老人の域ではない。文章を書きながら脳を回転させるという習慣が、身についてしまっているからではないだろうか。さて、書く以上はヒトサマに見ていただける責任あるものにしたいと思う。読んでいただくことで励みにもしたい。そこで、ブログを選んだのだった。
 その3は、先に妻が始めていたこと。とても楽しそうである。近頃、妻が新しいものを輸入してきて、夫が後から真似をするというパターンに陥りがちで悔しいが、楽しそうなものは楽しそうである。致し方あるまい。
 その4は、言うまでもなくso-netさんのキャンペーンである。致し方あるまい。
 最後にこのブログを書いていくに当たってのルールを決めておきたい。まず第一に、虚偽は書かない。不確かな情報である場合は、それがわかるように表現する。また、万が一、誤記が発覚した場合は速やかに訂正及び謝罪を行う。ただし、文章の性質上、多少の誇張はあり得ることをご了承いただきたい。第二に、自分や身内にしか通じないような内容は避ける。また、必要がある場合は客観的な説明を加えるものとする。以上。

 さて皆様、長々の口上になりました。これをお読みになって、随分ふてぶてしい野郎だとお思いになった方も居られましょう。こんな調子で書いていく所存でごさいますので、決して、読んで癒されたり笑えたりするものではございません。返って気分を害されて、夜眠れなくなってもいけませんので、よっぽど、お時間と心のゆとりがおありの時に、気が向いたら立ち寄っていただければ幸いでございます。

 何卒、何卒、宜しくオン願い奉りまする。


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