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東京の人は…(前編) [東京と京都]

 京都へ引っ越して、まだ日が浅い頃、人の口に出る「東京」という言葉がやけに耳についた。京都の人が東京と言うとき、「とーきょお」という風に最後の「お」を強く発音する。他の地域では聞かない独特のイントネーションもさることながら、「東京は」「東京の人は」に続く言葉はしばしば悪意がこもっているように思えた。普段の何気ない会話の中で、突如、「東京の人は、すぐに信号無視する」「東京の人は、道に平気でゴミを捨てる」「東京の人は、エスカレーターで片側に寄らない」などの言葉が出てくる。
 あるとき、会議の席で「そういう風に標準語で言われるとむかつくんだよね」と言われたことがある。また、東京へ行ってきた人が「東京の道は夜になると暗くて、車で走りにくい」と言っていた。京都の人は、どうも東京に対して、いわれのない悪意を持ってるようだと感じていた。
 だが、その一方で、東京に対する憧れもあるようなのである。変に意識しているという印象である。ゴールデンウィークや盆休みに旅行に出掛けたときなど、普段は何も言わない人でも、東京に行った場合に限って別格のように「東京へ行ってきました」と報告する。周囲の京都人は「いいですねぇ」と返す。当人は「なぁに、大したことじゃないですよ」とうそぶく。そのうち、「東京のどこへ行ったんですか」なんて訊くと、「池袋で友人の結婚式がありまして…」と言う。すると誰かが「ああ、ブクロね。あの辺も随分きれいになりましたね」なんて言っている。別の誰かが「東京駅から山手線やったっけ?」と訊けば、他の誰かが「地下鉄が早いんやないの?」「丸ノ内線やろ?」……要するに、東京のことをどれだけ知っているかという自慢合戦が始まるのである。僕は馬鹿馬鹿しくて、そういう話には加わらない。先日、東京のある出版社の営業が名刺を置いていった。そこに書かれていた飯田橋という住所を見て、誰かが「これ、イイダバシと読むんやで」と言えば、「本社が飯田橋なら大手やないやろ。あの辺は中小企業がごちゃごちゃしてる。出版社なら水道橋やないとあかんわ」なんて言っている。
 東京の人に言わせれば、京都は一地方都市に過ぎないだろう。しかし、京都の人は東京を同等もしくはそれ以下と見なしているフシがある。そしてしばしば次のような言葉を口にする。「京都には2000年の歴史があるが、東京はせいぜい100年そこそこだ。」それは、しかし、皇居が置かれていたというだけで、文化の中心は江戸後期には関東へ移行していたとも言えるし、人間が住んでいたということであれば、東京にも旧石器時代からの人類の営みはあるのだ……などと反論してみる気も起こらない。僕には、どちらが上だと決めるつもりはない。東京にいたころ、どこであれ他の特定の土地について皆がこぞって非難を浴びせるようなことは、聞いたことがなかったので驚いていたのである。
 だが、今は少しわかる。昔から言われていることだが、京都人の心底には中華思想が根強くあるようだ。2000年も日本の首都であり続けたわけだから、血と肉に浸み付いていても不思議はない。それに加えて、ここ50年くらいの間に、全国で地方都市が次々に誕生し、京都と同規模の都会が増えた。その間に京都では観光都市としての側面もあって伝統や文化遺産の保護が重視され、近代的発展が抑制されてきたとも考えられる。景観維持のため、現代的なデザインの高層建築が禁止されたのも、その一例である。かつて京都タワーが建設されたときも、近年では京都駅ビルの建築でも、大きな反対意見があった。そして、反対者の多くが外部の人、京都を観光で訪れる人たちだったのである。

 明治維新の後、東京遷都が決まると京都の人たちは混乱し、暗いムードに包まれたそうである。当時の民衆にとって、天皇は現代より大きな存在であったに違いない。京都の街に活気を取り戻すためにつくられたのが京極の商店街だったと聞いている。もしも遷都がなければ、京都が今の東京のように発展していたかもしれないと思うと、京都人の東京に対する憧れも僻みもともに理解できるように思われる。


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