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東京発のテレビ番組 [東京と京都]

 東京の中に京都はないが、京都の中に江戸はある。東映太秦撮影所。その歴史は1925年に始まるというから、大変なものだ。今ではテーマパークとして名高いが、JR嵯峨野線で西に向かうと、進行方向左側の車窓に撮影所の長い塀と、幾棟もの倉庫のような建物群が目に入り、無造作に置かれた古い大道具のようなものも見える。あの広い囲いの中には江戸の町が広がり、80年もの間、「べらんめぇ」「あたぼうでぇ」が飛び交っているかと思うと不思議だ。当然、エキストラも京都人が中心であろう。京都人が素性を髷の下に隠して、江戸っ子に成りすましているかと思うと、ちょっと笑える。
 太秦でなくても、京都で撮影される現代のドラマ、映画は多い。少し考えただけでも、船越サンとか、片平サンとか、橋爪サンとかが出演する場面が目に浮かぶ。だいたい、火曜何とか劇場とか木曜何とかドラマという2時間枠で、推理ドラマが中心である。実は、京都に住む者が見ると、他の地域の人にはちょっと味わえない楽しみがあるのだ。
 それは、これらのドラマに共通する3つの特徴だ。その1は、「事件は会議室で起きてるんじゃない。名所旧跡で起きてるんだ!」というものである。ホトケは嵐山の桂川か、鴨川のほとりで発見される。早速聞き込み開始だ。何故か、現場とは離れた錦市場や八坂神社、時には大原あたりまで足を伸ばす。犯人はついに追い詰められ、渡月橋を渡りながら、ぽつぽつと身の上を語り出す。「その時なんです。あの男が現れたのは。」ところが…、渡月橋を渡り終えると、そこは赤い鳥居が続く伏見稲荷の参道である。超人的な瞬間移動をしておきながら、何事もなかったように話し続けている。そして、哲学の道を歩いていたかと思ったら、次の瞬間には、清水寺。舞台から京都の夕暮れを見ながら、涙がすうっと…。さあ、お待ちかねのツッコミどころだ。2人でわざわざ拝観料払ったのかい?
 その2は、「伝統工芸士を疑え!」である。被害者やその家族は、決まって古き良き京都の生活を頑なに守って暮らしている人々である。今時の若い女性が着物で生活し、どっしりとした古い家屋に住み、庭に打ち水などしながら、ふと手を止めてため息をついたりなんかしている。父親は昔気質の職人だ。作務衣に手ぬぐい、一点を見つめて手仕事に打ち込み、娘の結婚に反対している。だが、彼は事件に結びつく鍵を握っているのだ。そして、それは一般人の知らない、専門的な知識の中にある。時には、凶器の刃物が、特殊な工芸でしか使われない専門用具だったとか、非常にわかりやすい展開になっている。まるで、京都には普通のスーツを着たサラリーマンやOLはいないみたいだ。
 その3は、「東京人、京都を征服す」というものだ。主人公のルポライターあるいは記者もしくは刑事は、必ず東京から赴任してきた人間である。しばしば、右腕となる人物や被害者も東京の人間。ドラマの中心になってストーリーを引っ張っていくのは全員標準語をしゃべる人間である。京都弁をしゃべるのは、目撃者か犯人側の人物。それも極端な京都弁、舞妓さんが話すような京都弁である。ただし、主人公の側近にも、やたらに京都の歴史や伝統に詳しい京都弁の女性がいる。山村サンや市田サンの役どころだ。この人物との何気ない会話の中で、「あっそうか!」と事件解決の糸口を見つける。
 これを東京を舞台にやったら面白いだろうな。ある朝、お台場の某テレビ局前で死体が発見される。犯人の遺留品は、雷おこしの包装紙。東京の警視庁を差し置いて、京都から江戸切子の取材に来ているフリーライターが捜査に乗り出す。聞き込み開始。汐留にいたかと思えば柴又で草だんごを食べている。次の場面では、六本木の大きなクモの下で、ついに容疑者の告白が始まる。「その時なんどす。あのお人が現れはったんは。」もちろん、犯人はべたべたの京都弁である。そして、東京タワーの展望室で東京の夕焼けを見ながら…。入場料払ろとんのかい!
 冗談はさておき、ドラマの背後に製作者サイドの思惑が見え隠れする。京都を舞台にすると視聴率が取れるのだろう。それは、東京(その他、京都以外の地域)の人の「京都」への憧れが背景にあり、京都の名所旧跡をチラチラ出すことが視聴者の期待でもあるのだろう。だから、あり得ない瞬間移動は、「お約束」なのかもしれない。また、もっと素直に考えて、京都へ撮影に来たスタッフが京都の美しい景色に出会い、純粋にこれを撮りたいと思うのかもしれない。京都まで来て、わざわざ貨物倉庫や怪しい地下街やビルの谷間を撮ることもない(もっとも、京都にはあまりそういうところはないが)。
 だが、京都に住む者としては、もっと真の京都を見てほしいと思う。寺社と先斗町と高級料亭と伝統工芸だけが京都ではない。誰もが舞妓さんのような京言葉を使うわけではない。京都の、おそらく大部分には普通の家庭があり、普通のビジネスがあり、活気ある商店街があり、コンビニがあり、若者が得体の知れない言語で話し、老人が「近頃の若い者は…」と嘆く日常に満ち溢れている。そういう現代の一地方都市としての京都を、東京の視点からどう見えるのかを描いてほしい。無理に、極端な京都弁を使わせる必要はない。不自然に標準語に訳すこともない。京都出身の俳優さん、女優さんを起用して、生の京都を紹介してほしい。ドラマに限ったことではなく、旅番組でもバラエティーでも。
 前にこんな番組があった。タレント3人が路線バスを乗り継いで旅をする人気シリーズだ。京都駅からバスに乗った3人は、南へ向かった。市バスの京阪中書島行きで、その路線は我が家の前も通っているので、食い入るように見ていた。バスの中で、タレントの1人が地図を見ていたが、「中書島なんて載ってないじゃん。何だ、この地図!」彼が見ていたのは、京都市街の観光マップ。普通、その類の地図は京都駅周辺以北しか載っていないので、当たり前である。そして、中書島に降り立って、「何だ、ここ。何にもないじゃん。普通喫茶店とか、駅前だったらあるだろが。」非常に腹が立った。ちなみに、中書島駅は、確かに小さな駅だが、特急も停車する駅ではある。バス停は駅の南側にあって、前がすぐ府立公園と宇治川の土手になっている。駅の表玄関は北側で、花街の面影を残す商店街に面している。彼らは、次に着いた楠葉駅(大阪府枚方市)でも、ぶつぶつ言っていた。「こんなの、ヒラカタなんて読めないじゃん、マイカタじゃないの!」旅行者の素直な気持ちを伝えるのは、時には必要だが、せめて編集段階で地元へのフォローをしてほしい。テロップなりナレーションなり…。これは、先に書いた、生の京都を見てほしいという気持ちに通ずる。さもなくば、東京だけで放映してもらいたい。
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 さて、話は変わるが、関西に住んで気づいたことの1つに、関西ローカルの番組が多いということがある。朝や昼のワイドショー、深夜のバラエティーは大阪発信のものが多い。初めはローカル色豊かだなと思ったが、考えてみると、自分に身近な地域を中心に放送してくれた方が、自分の生活に役立つことが多い。それに比べ、東京発の番組はどうだろう。「全国ネット」を標榜しながら、出演者にその意識が感じられないことがある。特に天気の話題。それは、冒頭とエンディングに目に付く。冒頭、「雨が上がってさわやかな朝になりましたね。」エンディングに数秒あるときに一言、「今日は傘をお忘れなく!」また、「春満喫!日帰り温泉の旅」などといった番組でも、関東一円が対象で、日帰りできるのは東京周辺の人だけというものがある。年末年始やお盆の時期のニュースでは、首都圏の渋滞情報ばかり延々と見せられることもある。
 いろいろな事情があるのだろう。特に、カネとヒトの制約が大きいだろう。しかし、これは関西に限らず、東京以外の全国の人が見ていることをわずかでも意識して、責任ある放送をしていただきたいものだと思う。
 なお、関西発の全国放送番組に、よみうりテレビの「ミヤネ屋」がある。平日の午後、毎日生放送されているニュース・情報番組である。関西で見ていると、身近な話題が多く面白いが、果たして東京で見ている人が、あるいは北海道、あるいは鹿児島で見ている人が、どのように感じているのだろうかと気になっている。

京都・観光文化検定試験改訂版



京都・観光文化時代map



京都検定問題と解説(第4回)



京都検定問題と解説(第5回)



京都検定問題と解説2級・3級(第1回)



京都検定問題と解説(第3回)



京都検定問題と解説 1級・2級・3級全255問(第2回)



中村武生の京都検定日めくりドリル500問



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東京の人は…(後編) [東京と京都]

 前編を書いてから、かなり長い時がたってしまった。もう京都へ転居して4年目に突入している。その間にいろいろとシガラミも発生して、京都を客観視する能力も多少失われたかもしれない。しかし、まだまだフシギノクニ・キョートには関心が尽きない。
 さて前回、京都の人の東京に対する偏見と憧憬について書いた。たまに東京へ行くと自慢げに吹聴するくらいだから、京都の人の皆が皆、度々東京へ行っているわけではないはずだ。その情報源は、おそらく大半がテレビ。これについては、別に書きたいと思う。そのほか、京都人が主として接する「東京の人」の大部分が観光客ではないだろうか。今、「東京の人」とカッコをつけたのは、関西弁以外の言葉を話す人たちが皆、東京の人間と捕らえられている感じがあるからだ。東京でも埼玉でも千葉でも、あるいは北海道でも九州でも、その他日本のどの県であれ、非関西弁圏のイントネーションはちらっと聞いただけでは同じように聞こえる。
 年間で京都を訪れる観光客数は実に5,000万人、日本人口の半数に近い。不況の煽りもあるのか、ここ5年間は鰻登りである。その中でも観光客の最も多い時期が紅葉シーズンの11月といわれているが、実感としては、一年を通して観光客だらけという印象だ。修学旅行も相変わらず多い。首都圏の私立校などは、海外や北海道、広島、長崎なども多いと耳にしていたので、京都・奈良は減ってきているのかと思っていた。ところが調べてみると、京都への修学旅行生数はここ10年ほどは変化がなく、毎年100万人を超えているのである。ちなみに僕は東京で学校を出たが、中学・高校とも修学旅行は京都・奈良であった。京都には修学旅行生を収容できる大型ホテルが多く、専用の施設すらある。また、修学旅行生の扱いにも慣れており、エコノミーでもある……といったところが、人気が衰えない要因だろう。
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 だが、修学旅行のスタイルは、昔と随分変わってきたように思う。昔は、観光バスに乗って団体行動。ガイドさんの旗に従ってぞろそろ歩き、ふざけあったりすると引率の先生に小突かれたりしたものだ。ところが近頃は、このぞろぞろ集団をついぞ見かけなくなった。代わりに目にするのは、生徒たちのグループ行動である。このグループ行動の修学旅行生の振る舞いには目に余るものがある。路上ではしゃぐ、走り回るは序の口で、駅の床に座り込む、レストランで騒ぐなどは、少々腹が立つ。引率の先生の姿は、ほとんど見た事がない。
 グループ行動の趣旨は、おそらく自主性の尊重や生徒の希望重視、また引率者の節減や観光施設・観光バスを団体で予約する必要がないなどの利点もあるだろう。だが、自主と自由は違うと思うし、自由と自分勝手も違う。常識的なルールやマナーをほとんど教わっていない子供たちを、いきなり社会に放り込んだところで、自主性や社会性が養われるとは到底思えないのである。いつか喫茶店で暇をつぶしている引率教員と思しき人を見た事があるが、事情はさておき子供たちの実態に目を向けてほしいと思う。なお、修学旅行生のすべてが、お行儀が悪いと言っているわけではないので、断っておく。
 実は、お行儀が悪いのは修学旅行生に限ったことではない。大人の観光客の中にも、マナーをわきまえない輩は少ないとは言えない。特にGWや夏休みは甚だしい。車中でストロボを焚く、通勤時間帯に飲食・飲酒をしている、混雑している車中で座席を占領していたり大荷物をドアの前に置いて動かさないなどである。また、地元の人は観光客に奉仕すると思い込んでいるきらいがある。というのも、遠慮もなしにシャッターを押させるし、道を尋ねるときにはしばしばタメグチだ。……しつこいようだが、京都へ来る観光客の全員がこうであると言っているのではない、念のため。
 いささか脱線が過ぎた。話を戻すと、こういった観光客の行状が京都人の「東京の人」に対する印象を悪くしているのではないかと思えるのである。かつて東京から京都へ観光に来ていた自分自身も含めて、反省せねばならないだろう。「旅の恥は掻き捨て」とは言うが、迷惑行為は恥では済まされない。旅先での行儀の悪さは、故郷に泥を塗るということを心に留めて、旅に出たいものだ。

東京の人は…(前編) [東京と京都]

 京都へ引っ越して、まだ日が浅い頃、人の口に出る「東京」という言葉がやけに耳についた。京都の人が東京と言うとき、「とーきょお」という風に最後の「お」を強く発音する。他の地域では聞かない独特のイントネーションもさることながら、「東京は」「東京の人は」に続く言葉はしばしば悪意がこもっているように思えた。普段の何気ない会話の中で、突如、「東京の人は、すぐに信号無視する」「東京の人は、道に平気でゴミを捨てる」「東京の人は、エスカレーターで片側に寄らない」などの言葉が出てくる。
 あるとき、会議の席で「そういう風に標準語で言われるとむかつくんだよね」と言われたことがある。また、東京へ行ってきた人が「東京の道は夜になると暗くて、車で走りにくい」と言っていた。京都の人は、どうも東京に対して、いわれのない悪意を持ってるようだと感じていた。
 だが、その一方で、東京に対する憧れもあるようなのである。変に意識しているという印象である。ゴールデンウィークや盆休みに旅行に出掛けたときなど、普段は何も言わない人でも、東京に行った場合に限って別格のように「東京へ行ってきました」と報告する。周囲の京都人は「いいですねぇ」と返す。当人は「なぁに、大したことじゃないですよ」とうそぶく。そのうち、「東京のどこへ行ったんですか」なんて訊くと、「池袋で友人の結婚式がありまして…」と言う。すると誰かが「ああ、ブクロね。あの辺も随分きれいになりましたね」なんて言っている。別の誰かが「東京駅から山手線やったっけ?」と訊けば、他の誰かが「地下鉄が早いんやないの?」「丸ノ内線やろ?」……要するに、東京のことをどれだけ知っているかという自慢合戦が始まるのである。僕は馬鹿馬鹿しくて、そういう話には加わらない。先日、東京のある出版社の営業が名刺を置いていった。そこに書かれていた飯田橋という住所を見て、誰かが「これ、イイダバシと読むんやで」と言えば、「本社が飯田橋なら大手やないやろ。あの辺は中小企業がごちゃごちゃしてる。出版社なら水道橋やないとあかんわ」なんて言っている。
 東京の人に言わせれば、京都は一地方都市に過ぎないだろう。しかし、京都の人は東京を同等もしくはそれ以下と見なしているフシがある。そしてしばしば次のような言葉を口にする。「京都には2000年の歴史があるが、東京はせいぜい100年そこそこだ。」それは、しかし、皇居が置かれていたというだけで、文化の中心は江戸後期には関東へ移行していたとも言えるし、人間が住んでいたということであれば、東京にも旧石器時代からの人類の営みはあるのだ……などと反論してみる気も起こらない。僕には、どちらが上だと決めるつもりはない。東京にいたころ、どこであれ他の特定の土地について皆がこぞって非難を浴びせるようなことは、聞いたことがなかったので驚いていたのである。
 だが、今は少しわかる。昔から言われていることだが、京都人の心底には中華思想が根強くあるようだ。2000年も日本の首都であり続けたわけだから、血と肉に浸み付いていても不思議はない。それに加えて、ここ50年くらいの間に、全国で地方都市が次々に誕生し、京都と同規模の都会が増えた。その間に京都では観光都市としての側面もあって伝統や文化遺産の保護が重視され、近代的発展が抑制されてきたとも考えられる。景観維持のため、現代的なデザインの高層建築が禁止されたのも、その一例である。かつて京都タワーが建設されたときも、近年では京都駅ビルの建築でも、大きな反対意見があった。そして、反対者の多くが外部の人、京都を観光で訪れる人たちだったのである。

 明治維新の後、東京遷都が決まると京都の人たちは混乱し、暗いムードに包まれたそうである。当時の民衆にとって、天皇は現代より大きな存在であったに違いない。京都の街に活気を取り戻すためにつくられたのが京極の商店街だったと聞いている。もしも遷都がなければ、京都が今の東京のように発展していたかもしれないと思うと、京都人の東京に対する憧れも僻みもともに理解できるように思われる。


京都と東京、重ねてみれば… [東京と京都]

 京都市には、上京・中京・下京・左京・右京・東山・西京・南・北(ここまでは上中下/左右/東西南北が付く)・山科・伏見の11区がある。僕は伏見区の自宅から、市内中心部の職場まで通勤している。伏見区は京都市最南部にあって、南では宇治市・八幡市・久御山町に、西は向日市・長岡京市・大山崎町に接する。鉄道でいえば、京都駅からJR奈良線で2駅目の稲荷駅から4駅目の桃山駅まで、近鉄線では4駅目の竹田駅から8駅目の向島(むかいじま)駅まで、また京阪線では三条駅から6駅目の伏見稲荷駅から13駅目の淀駅までが伏見区内の駅となっている。これらの鉄道沿線であれば、京都市内中心部まで30分前後で通学できる地域である。僕は、京都での通勤先が決まってから住居を定めたのだが、通勤時間30分というのは遠くもなく、近すぎもせず、理想的だと思っていたのだった。何しろ、東京では多摩地区から都心まで1時間以上かけて通勤していたのだから。
 ところが、伏見区から通っているというと、随分遠くから来ていると感じる人が多いようなのだ。「毎日大変でしょう。」などと言われる。僕の勤務先はそこそこの規模の事業所であって、中には市外からの通勤者もいる。しかし、職場まで原付や自転車、徒歩で通勤している人は意外に多い。その人たちと話していると、いろいろな場面で距離感覚の違いを感じることがある。
 実際には、京都と東京はどれくらい面積が違うのだろうか。下の図は、京都市の地図に東京のJR路線図を重ねたものである(ゼンリンのデジタル全国地図より作成)。こうしてみると、京都市の中心部は山手線内にすっぽり収まってしまう。ちなみに京都市の面積は約828平方キロメートルで、東京23区の面積(約617平方キロメートル)より広いのだが、北部や西部の山間の地域も含まれているので、盆地内の平坦部はもっと狭い。

 さて、同じ京都市内の伏見区が遠いのだから、大阪などはなおさらである。東京から見れば、大阪も京都も同じように感じるだろう。JRの新快速で京都-大阪間は25分である。東京-横浜間が東海道本線の普通列車で25分位だから、京都と大阪の関係は、横浜と東京の関係に比べられると思う。
 僕の感覚では、横浜と東京はごく近いイメージである。通勤や通学も相互に行われているし、ちょっとした買い物で横浜の人が東京へ行ったり、その逆もあったりする。
 僕の住む伏見から大阪へ行くには、京阪線の特急を利用して40分位である。大阪には大きな書店やCDショップがあるし、好きな美術館もある。休日に何か刺激を求めて出掛けることが多い。ところが周囲の京都人は、あまり大阪へは行かないようだ。行っても数年に一度とか…。自分と趣味が違うからなのかもしれないが、「必要がない。」と言う。
 たとえば、こんな会話をした。
「心斎橋の東急ハンズへ行ってきました。」
「別に大阪まで行かんでも、ロフトでええやんか。」
 河原町にロフトはある。しかし、ハンズとロフトは違うのだ(…といっても行ったことがない人には通じないのだが)。確かに近頃はわざわざ店舗に出向かなくても、何でもネットで買えるとはいえ、やはり大きな店で手にとって見たいと思う時もあるのだが…。関東平野がどこからでも富士山が見えるだだっ広い土地であるのと、京都が山に囲まれた閉鎖的な土地であることとの違いも関係あるのかもしれない。
 近年、マスメディアやインターネットの普及によって遠くの情報が容易に得られるようになった。人は、今より以上の便利さや豊かさを求めて遠くまで出掛ける。あるいは経済性や快適さを望んで郊外に居住する。交通機関の発達によって移動しやすくなってきた。東京には、徒歩5分圏内に地下鉄の駅が3つも4つもあるという場所も複数ある。ふた昔前なら新幹線通勤は珍しかったが、現代では中学生や高校生が新幹線で通学するという話すら耳にする。振り返ってみると、東京の人間の方が感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。自分の身辺にあるものだけで満足して暮らしていた昔からすると、身近にないものを求めて遠くまで足を運ぶことが当たり前となった現代は、その分エネルギーが要る。製品も多く生産される。売れ残ればゴミが出る。こう考えると、狭い社会の中で無欲に暮らしている方が地球に優しいのではないかと思う。京都には、そのような気風が少しは残っているのかもしれない。


「京都って、いいですねぇ…」 [東京と京都]

 先月、東京へ行ってきた。宿泊したところは、水月ホテル鴎外荘。上野・池之端にあって、敷地内に森鴎外が『舞姫』を執筆した住居が保存されている、閑静な宿だった。東京にこのようなホテルがあるとは、今まで知らなかった。考えてみれば、自分が住んでいる土地のホテルなど調べる機会はそうそうない。土地のことは土地の者に訊けというが、長年住み続けていると、無意識に行動範囲が限定されて、どこでも知っているようなつもりでも案外未知の場所があるのかもしれない。
 東京では旧知の友人知人に会うことと、レオナルドの受胎告知を観ることが主な目的だったが、話題の東京ミッドタウンへも行ってみた。ここ数年の東京の再開発は、すさまじい速さだ。汐留シオサイト(2002)、丸ビル(2002)、六本木ヒルズ(2003)、表参道ヒルズ(2006)、そして2007年3月にオープンした東京ミッドタウン。オリンピック招致が決定すれば、ますます建設ラッシュが続くだろう。しばらく東京を離れた間に、東京は見知らぬ街になりつつある。ちょっと寂しい。
 僕の周囲の京都人の中に、今年のゴールデンウィークを利用して東京へ遊びに行った人が幾人かいた。どこへ立ち寄ったのか訊いてみると、若い人はディズニーリゾート(厳密には東京都ではないのだが…)、お台場、年配者は浅草、上野。また、今の旬としては東京タワーや秋葉原。同じ場所を何度も訪れている人も少なくない。だが自分が東京に住んでいたとき、ディズニーリゾートは例外として、お台場や浅草はそうそう頻繁に出かける場所ではなかった。東京には、まだまだいいところがある。前にあげた再開発地区もそうだし、浜離宮・清澄庭園・小石川後楽園などの名園もある。都電に乗ってとげぬき地蔵にも行ってほしい。
 今回、東京で会ってきた人の一人に、「今は京都にお住まいなんですねぇ。いいですねぇ…」と、語尾を心もち強調して目を細めて言われた。最近の年賀状などにも、この「いいですねぇ」が散見され、何がいいのだろうと思っている。それはまあ、東京よりは人口も少なく閑静で、空気も多少きれいだろう。しかし、南の島でのんびりリゾート暮らしをしているのとは訳が違うのだ。東京の人には、京都に対して特殊な憧れがあるように思う。
 東京にいた頃、周囲で京都へ行ってきた人にどこを訪れたか訊いてみると、金閣寺(正式には鹿苑寺)、清水寺、大原、嵯峨野…。そして旅館の浴衣に下駄で花見小路あたりを散策して、お土産は八ツ橋。「いいですねぇ」という言葉の下には、そういう旅の情緒がひっくるめて潜んでいるのだろう。高瀬川畔の町家で、いずこからかコロリンと聞こえてくる琴の音でも聞きながら、明治時代さながらの暮らしをしているようなイメージがあるのだろうか。もっとも、「いいですねぇ」と言われて悪い気はしないが。
 それで思い出したが、かつて千葉県北部に住んでいた頃、旅先で「千葉から来ました。」と言うと、しばしば「暖かいでしょう」という挨拶が返ってきた。北陸地方で、「雪は初めてですか?」と真顔で訊かれたこともある。南房総は確かに暖かいが、雪が降らぬということはないし、僕が住んでいた北部では都内より雪深いこともあった。土地のイメージというものは、どこにでもあるのかもしれない。
 さて、金閣寺や清水寺など、中学生の修学旅行でも大概行っているのに、大人になってからもやっぱり行く。鹿苑寺金閣は、三島由紀夫や水上勉の小説で有名な1950年の放火事件で消失し、現在の建物は1955年に再建されたものである。消失以前は国宝に指定されていたけれど、現在のものは国宝ではない。僕が初めて訪れた1977年頃は、金箔が剥がれかけて黒ずんでいた。その後、1986年に行われた昭和大修理で現在のような姿になった。だから、建物は築50年ほど、外装は20年ほどということになる。ただし、金閣を含む庭園は特別名勝の指定を受けている。また、近年世界遺産にも指定された。

 古いものはすべて良し、新しいものは無価値だという気はない。しかし、金閣寺のイメージをもって京都の印象としてもらうには、やや抵抗がある。金閣は創建当時の姿を復元したものである。足利義満の富と繁栄の象徴として、歴史的に観る価値はあると思うが、現代人の生活の中に生きているとは思えない。悪く言えば、観光都市京都が人集めのために掲げている大看板という感じがする。もし、京都の寺々が軒並み、往時の姿に復したらどうなるだろう。朱の堂塔の中に金ピカの仏像や極彩色の神像が立ち並び、およそ古都の雰囲気が消滅することは間違いない。
 僕の周囲の京都人の中には、金閣寺に行ったことがないという人も少なくない。観光客の行くところには行かないというような、食わず嫌いも多少あるだろう。「観光客の歩く道と地元民が通るところは違う」というのは確かに感じる。それこそが、外部の人がもっている京都のイメージと実際の生活感とのギャップにつながっているのではなかろうか。代表的な観光スポットも一度は訪ねてほしい。しかし、そこが本当にお気に入りの場所というのでなければ、次は未見の場所に足を運んで新しい発見をしてほしいと思うのである。


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